デジタルフォトにおけるカラーグレーディング

 私は2004年からデジタル撮影による作品制作を本格的に開始しているが、その当初からRAW現像によるカラーグレーディングに重きを置いてきた。とにかくカラーネガプリントの色調・質感が好きで、それをデジタル撮影においていかに再現するかという技術的課題が私の中にある。それは今も続く課題である。
 RAW現像を行うにあたって、根底にある基準は銀塩写真であり、カラーネガプリントである。2002年からレタッチャーとしてプロの銀塩写真を毎日目にする環境にあったこともあり、「銀塩写真の銀塩写真らしさ」は体に染み付いているつもりだ。

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2014.7.20

 デジタルフォトをフィルムルックに仕上げることが正しいのか否か、その議論があることはよく承知している。ただそれは別の話とさせていただき、フルデジタルでの写真表現の手段の一つとして、今後はこれまでの感覚的なものに加え、可能な限り理詰めでフィルムルックの追求をしていきたいと考えている。

 こんにち、写真の世界と映像の世界は急速に接近している。レタッチャーとして入る現場にムービークルーが入ることが多くなっているし、ATSFにおいて本職のムービークルーが入ってクオリティの高いメイキングムービーが制作され、監督といろいろ話ができたことは、私にとって大きな刺激であった。
 時を同じくして放送された、TBSとWOWOWの共同制作ドラマでのカラーグレーディングのクオリティの高さが周囲でも話題になり、少しその辺りを調べてみたが、映像の世界でもやはり原則としてはフィルムの仕上がりを基準としてカラーグレーディングが行われているようである。
 しかしその手法や考え方は写真とは異なるものであり、とにかく勉強したい欲求に駆られている。映像の現場に少しでも関わり、カラーグレーディングに関する見聞を深め、その結果を写真に持ち帰りたいと思っている。

 デジタル映像のLog撮影やRAW撮影が普及することで、カラーグレーディングは急速に一般化すると考えているが、デジタルフォトの多くは既にRAW撮影なのに、微調整に留まったデジタル調の写真が多いのが現実であり、フィルムルックにグレーディングされたものでもクオリティの低いものを多々目にする。

 MVやドラマでも、しっかりとカラーグレーディングされているものは作品の深みが全く違う。
 より印象的にドラマチックに情景や感情を伝える、あるいは監督の意図を反映させるというカラーグレーディングの役割は、デジタルフォトにおいても重要であり、もっとそういう方向に成熟していくべきだと思っている。

 余談ではあるが、私がカラーグレーディングを担当しているYusuke HOMMA氏撮影の写真が、6月から「ascii.jp」をはじめ、メディアに連載され始めている(メディア掲載実績はこちらにまとめてある)。これにあたり、担当編集者様のご厚意で私のクレジットを表記していただいているのだが、その肩書きをどうするか困った。
 一般的には私は「レタッチャー」という表記になるのだが、ascii.jpでの掲載写真は基本的にカラーグレーディングしか行っておらず、「レタッチャー」という肩書きからよくイメージされる合成や肌修整などといった仕事と実際の仕事が乖離してしまう懸念があった。
 相談の結果「カラリスト」という肩書きで掲載していただいているが、これは映像の世界での肩書きであり、デジタルフォトにおける「カラリスト」「カラーグレーダー」に相当するポジションが存在していないことに若干の疑問を抱いている。
ヘビーなレタッチがなければフォトグラファーがカラーグレーディングを行うことが常識になっていると思うが、本当にそれで良いのだろうか。それで十分な画づくりができているだろうか。

 私はデジタルイメージング・クリエーターとして、デジタルフォトにおいて、色調で写真を演出するという観点を一番大切にしたいと考えている。そのためのフォトグラファーとの対話と現場での立ち会いも大切にしている。
 撮影後から仕上げまでを「レタッチ」という言葉で一括りにしてしまうのではなく、デジタルフォトにおけるカラーグレーディングと真剣に向き合う時期が来ていると思う。これから映像が4K主流となり、オリンピックに向けて8K化されていく潮流の中で、写真が置き去りになってしまうことに、現状ほんの少しの懸念を抱いている。

 作品制作と研究を通し、出来る限りのことをやっていきたい。その経過報告もこの場でできたらと考えている。

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